UXリサーチ×行動経済学 入門

1.行動経済学とは

(i)伝統的な経済学と行動経済学

「行動経済学」という学問分野をご存じでしょうか。一時期ブームになったので、名前はなんとなく聞いたことがある人、ブームの際に少し勉強した人、結構詳しい人など色々いるかもしれません。 行動経済学とは、経済合理性に完全に則って行動する〈ホモ・エコノミカス(経済人)〉を前提として話が進む伝統的な経済学を、一歩引いた立場から「そんな奴いる?」とツッコみを入れる形で生まれた学問分野です。そんなツッコみを入れられてしまうホモ・エコノミカスとはどういう人間なのかというと、ある本にはこう書かれています。

「『経済人』という特別の人々をご存じだろうか。禁煙や禁酒やダイエットに失敗することなんてありえない。しょっちゅう電車の中に傘を忘れたり、ダブルブッキングして友人を不愉快な気持ちにさせたり、当たるはずのない宝くじに大金を投じたりはしない。」
「行動経済学 世界は『感情』で動いている」, 友野典男, 光文社新書, 2006, カバー紹介文より

どうでしょう、どこか現実離れしていますよね。我々は禁煙やダイエットに失敗するし、シーズンになると宝くじ売り場には行列ができています。私自身、お酒を控えようと思いながらお酒を飲み続けています。そう、我々はホモ・エコノミカスにはなりえないのです。「じゃあ実際の人間(ホモ・サピエンス)はどういう行動を取るのだろう」というのが、行動経済学の始まりでした。

補足)伝統的な経済学は、ホモ・エコノミカスを仮定することで「合理的に行動するにはどうすべきか」を明らかにしようとしている学問分野であり、決して人間の実際の行動を明らかにしようという思いから生まれたわけではありません。そのため、「だから伝統的な経済学は古い・劣っている」というわけではありません。問い、アプローチの違いです。

さて、では一方で行動経済学はどのような学問か。同じ本ではこう書かれています。

「行動経済学とは何かについて研究者の間でも一致した定義があるわけではないが、人は実際にどのように行動するのか、なぜそうするのか、その行動の結果として何が生じるのかといったテーマに取り組む経済学であると言ってよい。つまり人間行動の実際、その原因、経済社会に及ぼす影響および人々の行動をコントロールすることを目的とする政策に関して、体系的に究明することを目指す学問である」。
「行動経済学 世界は『感情』で動いている」, 友野典男, 光文社新書, 2006, P.23-24

要するに、行動経済学は「人はどう考え、どう行動するのか、その理由」を明らかにしようとする学問であると言えます。人の行動を明らかにする。どうでしょう、UXリサーチとなんとなく似ているように思えませんか?

(ii)行動経済学の理論

行動経済学には、人の行動や考え方の特性・傾向を明らかにした有名な理論があります。2002年にノーベル経済学賞を取ったDaniel KahnemanとAmos Tverskyが明らかにした、彼らがその賞を取るきっかけとなった「プロスペクト理論」と呼ばれるものです(※)。理論の詳細やその実験内容の説明は他書籍等に譲るとして、少しだけ内容に触れたいと思います。以下は、プロスペクト理論の中で説明されている人間の性質の一例です。

◆損失忌避性
・利得よりも損失に大きく影響を受ける

◆感応度逓減性
・利得も損失も、その値が小さいときには変化に対して敏感だが、大きくなると相対的に気にしなくなる

他、確率荷重(小さな確率は課題に評価される)、リスク回避(安全な選択肢を過大に良く評価する)など。

これらの内容のどれが一番大事ということではありませんが、今回は感覚的にわかりやすそうな損失忌避性と感応度逓減性をピックアップして説明します。

まず、損失忌避性とは字の通り損失を忌避・回避する人間の傾向です。ギャンブルをやる方なら分かるかもしれませんが、2万円勝った時は「やった~」くらいの喜びですが、2万円負けた時の気持ちは「絶望」に近いのではないでしょうか。
あと最近個人的に感じるのですが、自分もお年玉を貰う側からあげる側になって、お年玉貰う時の喜びよりも、あげるときの方の悲しみの方が明らかに大きいのを感じます。貰っていた金額の方が、あげる金額よりも大きいにも関わらず、です。

次に感応度逓減性。逓減というのは「徐々に下がる」という意味で、感じ方が徐々に下がるという性質が人間にはあると説明しています。例えば普段の買い物で5万円使うとき、かなり大きな出費ですよね。本当にそれを買うべきか悩みに悩んで、えいやの気持ちで買うのではないでしょうか。
でも例えば車とか家とか、数百・数千万単位の大きな買い物をすると想像してください。そのとき、ちょっといいオーディオとか材質がオプションとしてプラス5万円で付けられると言われました。同じ5万円の買い物ですが、オプションを付けるときの5万円は、普段の買い物で5万円使う時よりも軽い気持ちで支払えてしまうのではないでしょうか。

このようにプロスペクト理論は、言われてみると「あるある」な人間の性質を、実験的なアプローチで明らかにした研究です。これをきっかけに人の行動、特に何かを選択する場面における行動を実験的に明らかにしようというムーブメントが生まれ、それが行動経済学という学問として育つことになりました。次章では、その行動経済学がUXとどのように関連していくのかを、私自身の考えを混ぜつつ説明していきます。

2.行動経済学はUXリサーチとどう関係する?

(i)UXリサーチとの関係

前章までで、行動経済学とは「人はどう考え、どう行動するのか、その理由を明らかにする学問」だと説明しました。一方UXリサーチとは、ユーザーがどんな体験を通して何を感じ、その結果どう行動するのかということを確かめながらよりよいユーザー体験を目指していく調査手法と言えます。どちらも人間の行動や心理をよく見るというアプローチを取っているので、似ている気がしませんか?行動経済学を知ることで、なぜ人がそう感じてしまうのかをより深く理解し、行動を変えるためにはどうアプローチすればよいかのヒントを得られると私は考えています。

(ii)行動経済学の応用(ナッジ)

行動経済学とUXはアプローチが似ているため、行動経済学を学ぶことで人の行動・心理を深く理解し、UXの理解にもつながってくると前節で述べましたが、より具体的な行動経済学の応用可能性を示した例として「ナッジ(nudge)」という概念があります。これは2017年にノーベル経済学賞を取ったRichard Thalerが提唱したもので、ナッジとは「(注意を引くために・合図するために肘で人を)軽く突く、軽く押す」という意味の英単語ですが、そこから転じて、

「他人に注意を喚起させたり、気づかせたり、控えめに警告したりする」こと。
実践 行動経済学, リチャード・セイラー, キャス・サンスティーン, 日経BP社, 2009, P.2

と定義されています。以下にいくつか日常に潜むナッジの例を、そのポイントともに列挙します。このような例を学び、応用することで、より使いやすいサービスを提供することにつなげられるのではないでしょうか。

◆エラーを予期する
・人間はどうやってもエラーを起こしてしまいます。そのため、エラーが起きても行動を正しい方向に戻せるように、あるいは最大限エラーが起こりにくいようなデザインを心がけましょう。

例1)最近のGmail等は、「添付ファイルをご覧ください」という一文があっても添付ファイルがない場合には確認メッセージを出してくれます。

例2)低用量ピルは飲まなくてよい時期があるのですが、飲む時期と飲まない時期があると飲み忘れが発生して効果がなくなってしまうので、「錠剤を飲む」という習慣を継続させ飲み忘れ期間が出ないように、本当は飲まなくてよい時期でもプラシーボを飲ませるようにしています。

◆フィードバックを与える
・人が何か行動を起こした場合には、適切なフィードバックを与えることで、行動をよりスムーズにすることができます

例1)デジタルカメラ・スマホは、写真を撮った時に音が鳴るようになっています。音が鳴らなかったら、撮ったかどうかかなり分かりにくくなると思います。シャッター音があることで、私たちはいちいち写真が撮れたか確認しなくても済んでいるわけです。

例2)Amazon等のECサイトは、商品をカートに入れるとカートの上の数字が増え、ちゃんと商品がカートに入っていることがわかりやすくなっています。

◆デフォルトの設定を変える
・人はデフォルト(最初に設定されているもの)に大きく影響を受けます。デフォルトを適切に設定することで、人々の行動を大きく変えることができます。

例1)ある国では、臓器提供者を増やすためにデフォルトの設定を変えた例が報告されています。その国では従来、臓器提供をしないことがデフォルトで、自発的に意思表明した人だけが臓器提供することになっていました。そこでデフォルトを「臓器提供する」にして、意思表明した人だけが「臓器提供しない」となるようにしたところ、臓器提供者が飛躍的に増えたとのことです。

3.まとめ:行動経済学を応用する上での注意点

ナッジは簡単に、でも強力に人の行動を変えることができてしまいます。そしてそれ故に取り扱いには注意が必要で、高い倫理観が求められます。そしてその倫理観は、ナッジだけに留まらず、多少なりとも人の選択・行動を変えようとしている我々のようなUXを活用しようとしている人間も意識するべきだと考えています。何故なら、我々はUXを活用することで人々の行動や生活を良くしなければならないわけで、悪用し、人々が不利益を被るように導いてしまうのは絶対にあってはならないからです。以下にナッジを正しく運用する原則を記載します。この原則をUXにおいても意識しながら、人々の選択を良い方向に導いていきましょう。

◆ユーザーが喜ぶかどうかを第一に
・誘導する側(企業など)の利益ではなく、人々の利益を導くこと

◆ミスリードさせないように
・誤解を招くように誘導してはならない(例えば服屋で、スタイルが良く見える鏡を置いてはならない)

◆選択肢の変更は簡単に
・その選択肢からの離脱は容易でなくてはならない(例えば前述の臓器提供の例で、臓器提供したくない人は簡単にしたくない意思を表明できなければならない)

参考、出典

※ Kahneman, Daniel, and Amos Tversky. “Prospect theory: An analysis of decision under risk.” Handbook of the fundamentals of financial decision making: Part I. 2013. P.99-127.

この記事を書いた人

黒澤 圭貴

黒澤 圭貴

株式会社ポップインサイト UXリサーチャー。シンクタンクで研究員として活動後、2019年から株式会社ポップインサイトでUXリサーチャーとしてのキャリアをスタート。教育、金融、住宅等、幅広い業界のサービスに関するUX改善業務を経験。 自らのUXリサーチのスキルだけでなく、その重要性を顧客に真に理解してもらうことを大切にしながら、UXリサーチャーとして活躍中。

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