2021.1.21
「あいつ大丈夫か?」と思われてからが勝負なんじゃないかという話(2020新卒バトン Vol.188)
メンバーズクリエイターズブログでは、2020年新卒の学びのアウトプットとして寄稿企画を行っています!2020年4月に入社した社員による新しく学んだことを「バトン形式」で繋ぎ、執筆していきます。
今回は山田遼太郎が担当します。
学生時代にやってきたこと
学生時代はデザイン系の公立大学で、ブックデザインの勉強をしていました。
私は特に電子書籍について取り扱っておりました。電子書籍の中でも「epub」と呼ばれる形式はHTMLやXHTMLなどをZIPパッケージ化したものなのですが、これを研究する過程で、ポートフォリオサイトからのお声がけなどもあり、メンバーズに入社しました。
貧乏旅行が好きで、アイキャッチ画像は学生時代に旅行先で撮った「雰囲気のある小舟」です。
学んだこと
人生は学びの連続で、殊更に「これを学んだ!」と天啓のように降ってくるわけではないと思っています。ジョブズ氏がスタンフォード大学で披露した「点と点」のスピーチのように、日々のちょっとした「気付き」の連鎖がもたらすものが、後から「学び」という形になって見えてくるものではないでしょうか。
そんなわけで、最近「学び」を振り返るきっかけになった、ちょっとしたエピソードを書こうと思います。
実家からの連絡、祖父の話
まったくもって私事ではあるのですが、先日急に実家から電話がありました。ほとんど家族と連絡を取らない私からすれば青天の霹靂といったところで、恐る恐る出てみれば、母が開口一番に「実は2年前、祖父が余命4か月と宣告されていた」と言われ、その時はひっくり返るかと思いました。
ところが祖父は至って元気です。
なんでも認可されたての新薬がえらく効いたとかで、祖父は未だに好物のソース焼きそばと三ツ矢サイダーを口にしています。
この祖父が最近ボケかけており、実家からの連絡は「油断はできないから正月には顔を見せるように」という意味合いのものだったわけですが、その時に聞いた祖父のエピソードがまた、興味深かったのです。
祖父は元来、頭の回転が早い人でした。そういった祖父がボケるとどうなるかと言えば、ボケているような発言の合間合間に、とんでもなく賢いことを言い出したりして、ボケているんだかボケていないんだか分からなくなります(平野耕太氏の漫画『ドリフターズ』のハンニバル・バルカみたいな感じです)。
母は、車を運転するのが危ない祖父に代わって車を出し、一緒にスーパーに買い物に行ったそうです。祖父が好物の焼きそばを買い、あとはお金を払うだけ、という段になって、祖父はおもむろに小銭入れを取り出し、その中身を全部自動レジに流し込み始めました。
母は慌てて「父さん、何してるの!」と言い、それに対して祖父は落ち着き払って言ったそうです。
「機械が勝手に計算して、必要な額だけ取ってくれる。それなのに人間がわざわざ小銭を数える必要があるのか?」
常識「外し」の難しさ
「アインシュタインは言ったね。『常識ってのは、ハタチまでに集めた偏見のコレクションのことだ』ってさ」と酒の席で得意げに語って煙たがられるのは簡単なものの、実際に常識を疑って、クリエイティブに考え、行動することは至難の業です。たとえば私や母は「祖父はボケてきている」とか「お金を払う時はできるだけちょうど良い額を払う」という常識があったからこそ、祖父が奇行に走ったと考えてしまったわけです。
身につまされる話でした。特に最近実感するのは、勉強すればするほど、そういう「常識」にがんじがらめにされていく、という感覚です。もちろん、勉強することを否定したいのではありません。人間が一人で処理できる情報や行動には限度があるため、それを定型化して、一つのアセットとして運用したほうが効率的なのは自明の理です。ですが、その裏で「常識」が私のクリエイティブを阻害している可能性を否定することもできません。
勉強することは、決して簡単なことではありません。学び、実践し、考え、また学ぶ。こういった繰り返しと努力があったからこそ、勉強して学んだ「常識」を疑うのは、もっと難しくなっていきます。しかし理論を学び、常識を身に着けた人が常識を「外した」時、単に「非常識」の人とは比べ物にならない力を発揮するはずです。
というわけで、最近の祖父の話から、自分の仕事との向き合い方を考えさせられた話でした。
これからどんなことをしていきたいか
常識を外れた時「あいつ大丈夫か?」みたいな視線はまず間違いなく生じます。私は変にプライドが高く、そういう目線を避けようと生きてきました。だからこそ、これからは意識的に、「あいつ大丈夫か?」を味方につけていきたいと思います。
つまり、大丈夫かと思われた時、自分は「常識」から外れているということです。とはいえ常識なんて人それぞれで、アテにならないと言えばそれまでなのですが……。ともあれ、自分が向かう先の目印くらいにはなるはずです。ほどよく常識から外れているくらいのほうが、クリエイティブには丁度いいのかなあ、と思っています。
拙文にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。次のバトンは、同期で唯一SFの話で盛り上がることのできるナイスガイ、気遣いの鬼こと、阿部 拓磨さんに回したいと思います(Vol.190)。阿部さん、よろしく!
この記事を書いた人
山田 遼太郎
SF好きの面倒くさいオタク。